ドツボタパーン

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「Facebookで食べ物の投稿を毎日のようにしている方々に…」=「それサバンナでも言えんの?」

誤解無き様に先に書いておきますが、Facebookで食べ物を投稿してる人に特別な感情はありません。美味そうな投稿なら興味がわきますし、美女の食べ物には興味がありますウフフ。

 

Facebookで「食べ物の投稿を毎日のようにしている人は、それで世界が幸せになると思ってやってるの?飢餓に苦しんでる人はそれを見てどう思うだろう?人類のための何ができるか考える人たちが増えて!と願ってます。」といった様な内容の投稿を目にした。

知人のシェアが流れてきただけなので、直接話した人ではないし発言の真意は汲み取れないかもしれないけど、私にはとてもポジティブには受け取れませんでした。

 

言っている内容は正論と言えば正論。人類の為にというのは勿論反論する様な事でもない。でもやっぱり違和感たっぷりな印象だった。なんて言うんでしょうか、正に「正論を武器にする」とでも言うのが正しい様な気がします。もちろん本人にそんな気は無いんでしょうけど。

 

何かを主張したり論争をしたりする上で「正論を振りかざす」なんて言葉を使うと、「いやいやそういう話じゃなくて」とか「日本人は議論ができない」みたいな話になってしまいますし、論理の正しさや現実的な妥当性を根拠に自分の意見を主張しなければ、一帯何を根拠に議論ができるのかわかりませんが、私の言いたいのはそういう事じゃなくて、「もっと巧い言い方あったでしょうが」という事です。

 

人に何かを伝えたり、興味を引いたりするのはとても大変だと思います。善意でやってる事が批判されたり、お金をかけたPRの効果が薄かったり。Facebookをプライベートなモノとして使用しているなら別ですが(プライベートで投稿しても友達減りそうな気もしますが)、オープンなモノとして使用しているなら、発言にそういった事に対する思慮が足りないのではないかと感じました。ちょっと言葉尻を変えるだけでも印象は変わるし。直接そんな事を言ったら「じゃあ手本を見せなさいよ」的な意見がきたら面倒くさいので言いませんが。独り言です独り言。

 

でも可哀想だなあと思うのは、その投稿だけがシェアされて一人歩きして批判の対象になってしまう事です。現に「善意の押し売りだ」とか「偽善の極み」みたいなコメントもされてましたし。もしかしたらその方は私財を投げ打って貧困地区を支援されてる方かもしれないし、人類が幸せになるように日々何かの研究をされてる方かも知れません。でもFacebookの投稿は長文には向いていないし、皆がその発言から人格に興味を持ってプロフィールを見るかというとそうではありませんし。そうなると本人の真意を汲み取れない確率もかなり上がるし、要するに件の投稿は背景の見えない「共感を拒絶した」投稿になっちゃってるんですよね。

 

まあ、だからこそ言葉が足りないし、Facebookで投稿する事自体が少し思慮に欠ける行為だったのではないかと。フロー型のtwitterFacebookにはリンクを貼って、「魅力的なタイトル」でブログ等に残すべきなのではないかと思います。WEB上で発言する事に対する効果とかをもっと考えるべきだったと。もし本当に批判されてでも伝えたい事だったのならね。

 

詰まる所、私がこの投稿を見て感じた印象は、「”それサバンナでも言えんの?”と同レベルの、単なる決まり文句」です。なんでしょう、ネットって大変ですねウフフ。

 

 

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